
広島県呉市にある鯛之宮神社は、佐久間船長の第六号潜水艇殉難顕彰碑が聳え立つ神社。
鯛之宮神社の歴史と祭神
鯛之宮神社は、呉市西三津田町1-1に鎮座する神社。
御祭神
言代主神(コトシロヌシノカミ)
天日方奇日方命(アメヒカタクシヒカタノミコト)
大己貴命(オオナムチノミコト)
1500年頃、社殿が造られたといわれ、一度は福島正則に没収された後、再興された神社。芸備地震で大被害を受けたが、現在は復旧されている。そのときの、修復前の瓦なども残されている。
境内前には、115段の石段がある。
第六号潜水艇殉難顕彰碑
境内には、高さ19メートルの第六号潜水艇殉難顕彰碑が聳え立つ。第六潜水艇殉難顕彰碑には、広島湾でガソリン潜航実験の訓練中に沈没した第六潜水艇のプロペラ部分、通気口の開閉弁が内部に保管されていて、外から見ることも可能(戦後、連合軍の指示により、艇は解体され、船体部分は桟橋になった)。
鳥居に側には、石碑の案内版もある。毎年、事故のあった4月15日には、追悼式が行われている。斜面下には、明治に建てられた日本建築の旧呉海軍工廠長の邸宅も残されている。
第六号潜水艇
第六潜水艇は、明治43年4月15日、ガソリン潜航実験の訓練際、煙突の長さ以上に潜水してしまったが、通気口の開閉弁が故障していたため手動に切り替えるが、佐久間艇長以下14名が殉職した。第六潜水艇が沈没した際、乗員全員がそれぞれの持ち場を最後まで離れず修復に全力を尽くして殉職していったことから、「潜水艦乗組員かくあるべし」と乗組員は、顕彰された。他国では沈没の際、我先にと乗組員が人を押しのけて最期を迎えたという記録もあり、旧日本海軍のこの行為は、外国からも高く評価されている。
イギリスでは海軍の教えにもなり、アメリカでは国議会議事堂に遺書の写しが陳列された。佐久間船長は、艇内において、遺族への配慮で全ての乗組員にも遺書を認めていた。佐久間船長が死の直前に艇内に残した遺書には、沈没原因や沈没の状況が書き留められている。
海上自衛隊ホームページで佐久間船長の遺書が詳しく紹介されています。佐久間船長遺書全文
鯛之宮神社案内
駐車場無し
呉市西三津田町1-1
呉駅から徒歩15~20分
くれたん「三条3丁目」下車10分
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